救ってくれる物語(BL)について考えてみた

「人生の一時期を救ってくれる可能性がある性的ファンタジー
(主にBL)について」
http://togetter.com/li/22217


僕は今迄BL、エロゲに触れる機会は無かったのだけれども。
この方の発言を読んでいて、いくつか共感できる部分があったので
引用しながら書いていこうと思う。


<閉塞感や歯がゆさを抱えているとき人を救ってくれる
物語は確かにある>

僕の場合の話をすると、僕は高校時代がつまらなくてつまらなくてしょうがなかった。俺は元々空手をやる為に高校に入学したんじゃないんだよ。
だけどここで辞めれば狭い校内、負け犬じゃないか。
結局変な意地で辞められず空手だけの日々。


引退した後、更にその閉塞感や歯がゆさは増えていった。
空手部以外において何の繋がりも、何のやりがいも
持っていなかった自分に気づかされた。


そんな時に村上春樹の小説に再び出会った。
何か分からないけど、自分を高尚な世界へトリップさせて
くれるようなあの感覚。あれに浸り続けるのが心地よかった。
分厚いハードカバーだけに長い時間浸っていられる。
ちっちゃい自慢にもなる。


どんな場合であれ、人を救ってくれる物語は確かにある。



<女性は性的に求められる事自体は「売れる」くらい容易なことだからこそ、通常の恋愛ものにすら疑念がわくというか、自分の性と切り離された仮想的な物語のほうが真実の愛と感じられるのかも>

<私は、「女という性」が、ただそれだけで全身凶器に近い武器だということに割と幼い頃から気付いた。女は生まれながらにして女という鋭い武器を持っている。それはとても強烈に効く>

<中学生頃、思春期になると、そこで恋愛とか性欲とかっていうややこしい問題が出てくる。その時に、その「女」という武器の扱い方をどうするかという問題がはっきりと突きつけられるんだと思う>


「女性」については「理解できるなんて」思わないし、できる
ものでもないと思う。
ただ、彼女の概念的なものの考え方に対して共感はできる。

男性の立場として考えると「愛された数が自分の価値」と考える男性も
少なからず多く存在する。


そういったしかがみから一時的にしろ逃れる為の物語は
誰にしろあるものだと思うし、求めるものが同じならば
コンテンツの種類はそれほど問題なのだろうか?


個人的にこの方が主題として挙げている「BL」について
最も当人の深層が現れている言葉がこれなんじゃないかな。


<実はBLって、もしかしたら、登場人物が「男だ」ってことよりも、「女でない」ということの方が重要なんじゃないかなとふと思った>




なんか、この方の発言を見ていると「かまってちゃん」と「表現者
の境がどこに存在しているのかが薄っすらと見えてくる気がする。


おおまかだけど、それは「ありのまま隠していない言葉」とかそういうものではなく「具体性」「主体性」がくっきりと
現れてくるものなんじゃないかな、と思う。