mixiとブログの違い

僕は元々mixiをブログ的に使っていた。

mixiを始めるきっかけがリアル関係の友人では
無かった経緯があっての事だけど。


ほとんど日常生活レベルについても共有できていない
人を読み手の対象として始めたせいか、
僕の文章は、日記よりもテキストブログのエントリーに
近い形に向かっての方向性になりつつあった。


僕が思うmixiとブログの違いについては、
まずあのクローズドなシステムは容易に想像が付くと思うが
問題はそこから「生まれるもの」


リアルの友人が増えていくにつれて、
僕は日記の中で何かが自然に
構築されているのを感じた。


それは、見せ掛けの「自己形成コミュニティ」
と言うべきもの。
日記を介して「wanibutiの日記」
とでも言うべき小さいコミュニティを作っているように感じる。


すると、どんな錯覚が起きてくるか。
SNSの意義である
「コミュニケーションの促進」
より、
SNSそのものがコミュニケーションの手段」
という概念がどんどん膨らんでいく。


これが俗に言う「mixi中毒」なのではないかと思う。



mixi日記は
「自分を知ってもらうきっかけ」
程度に考えれば事が収まるものを
きっかけ→当人に対するアクション

の一連の全てをmixi上で求めるようになってくる。



少し話が逸れた。



そこが文章に表れる事としてひとつ。



「当人へのアクション」
を過剰に意識して書くようになる事。
=自己形成コミュニティを意識する。

するとどうなるか。
自己形成コミュニティで通ずる話題に観点が行くようになる。
mixiで文章を書いている人は中毒程度あれこそ、ほとんどの人が自分の知らない内にこの流れに乗っていっている。



僕が一番厄介だと思うのは、
「通ずる」って部分だと思うんだよね。

「素晴らしい文章」と言うものは
読み手が全くの事前情報が無い場合でも成り立つ。
逆に言ってしまえばそれを意識しなく文章を書き続けたとしても、書き手の能力は大して変わらない。


読み手がどんな意識のピラミッドを遡って文章を読んでくるか、って想像するだけの簡単な事なんだけど案外それを忘れがちになる。


mixiか、ブログか、
クローズドか、幅広い可能性か、
論点は単純な二極論だけじゃなくて


そこから生まれる書き手の意識の変化の問題が
一番の差だと感じる。



とはいえ逆にその小さな自己形成コミュニティを理解して、
それをより面白く魅せる努力をしてる人もいる。
こんな人はその中ではホント最高に面白いし、
小さなコミュニティを別の場所でも作り出せる
対応性も感じます。




だけど僕は中途半端なmixi上の自己形成コミュニティへの依存を取っ払わないと自分の文章が書けない気がしてブログを書く事にした。