感性の土壌

「日本人の一大事」 佐藤愛子 著

を図書館で偶然手に取り、一晩で読み通しました。


同著を読む中で、僕がどうしても書き留めておきたい部分があったので引用させて頂きます。




「なぜ人を殺してはいけないの?」の部分から


「時代はとにかく「スッキリ」暮らすのが一番という風潮になっています。

家族に病人が出るとすぐ入院。死ぬのも病院です。人間が生を失っていく姿、死と闘う姿、死が近づいていく姿、
そして死に呑み込まれるという凄絶な姿を、家族は見ないですむという仕組みになっています。
苦悶する姿を目のあたりに見ているうちにいやでも培われる感性があるんだけど。簡便主義がそれを奪いました。

死際、死ざまを見ていないということは人の命が終わるさま、永遠の別れの辛さ、死の無惨さがわからないままに
通り過ぎてしまうことになる。
それが「スッキリ」ということなのよ。」


愛子女史はまた

「共通の感性が育っていない土壌に言葉は咲かない。実らない。
だが言葉に頼るしかない今は、老兵は死なず消え去りも出来ず、黙って絶望を呑み込んでいる」

とも書いています。





僕はこれを読んだ時、真っ先に母方の祖母を思い出した。


アルツハイマーが進行し、僕が物心付いた時には実家の母屋で寝たきりだった祖母。
実家に寄るとまず祖母のベッドに行き顔を見せて挨拶する事が習慣だった。
小学生低学年だった僕が、祖母の状態を理解したのは数年後だったと思う。


祖母が死んで、母親とアルバムの整理をしていた時だ。


僕を母方の実家で撮影した写真のほとんどには、元気そうなおばあちゃんが一緒に写っていた。

両手で抱えられていたり、
ご飯を食べさせていたり、
外で遊んでいたり。



母親に聞くと、祖母はアルツハイマーが進行する直前まで、ずっと祖父にも世話をさせない程、
いつも1人で僕を可愛がってくれていたらしい。


それを聞いている間、
「いつも寝たきりで返事もできない祖母」

「可愛がってくれた元気なおばあちゃん」


の二つの事象が結び付き、

寝たきりだったのは病気だったということ、
そんな病気になるまでは元気だったということ、
あの「寝たきり」になって何も動けなくなっていく事が「死んでいく姿」だと
いうことが、強烈に頭に叩き込まれていったのを今でも覚えている。





もう一つこの事を考えて思い出した物がひとつ。


村上龍さんの作品 「希望の国エクソダス

に出てくる 「オバステ」というシステムの事だ。



簡単に言うと、中学生の組織が「家に居て何の生産性も持たない老人」
を「オバステ」と言う完全介護体制の整った老人ホームにまとめて
移住させる現代の姨捨山を作ろうとするのである。



 

共通の感性を持たない土壌に既に「オバステ」は出来上がっているのではないだろうか。

先ほどの母方の実家の話の続きであるが、


祖母の世話をずっと1人で行っていたのは祖父だった。
祖母が亡くなってからもずっと祖父はそこに住み続けていたのだが、

すぐ近くに叔父夫婦の家があったのだ。

にも関わらず、母と僕らが月に一度訪れても
叔父夫婦はもうずっと顔も見せず連絡もよこさないと言う。

どれだけ近くかと言うと歩いて数分、庭先程度である。
(僕の家と母方の実家は車で1時間程の距離だった)



その挙句、長兄なので祖父の葬式を行う段取りになると
違う親戚から金を借り式を終え、
一年忌になると知らぬ顔、親戚に金も返さず遺産と
祖父の家だけ頂いているのだ。



僕は1人で自分の生活と両立し、祖母の世話をしていた祖父を見ているので
そんな行いは死んでもできない。
祖父は思い出すと反吐が出る事だが「叔父夫婦から捨てられた」としか僕の家族からは考えられないのだ。






人間としての感性。
もうこんな事、いちいち言葉で言う事じゃなく分かる事なんだよ!

という愛子女史の言葉は直感的で逆に最も論理的である。